1月17日午後、栄村の「平成19年第1回臨時議会」が開催された。
私は10日から村に滞在していて、当初は17日の昼頃に村を離れる予定だったのだが、村の人の強い勧めがあって、帰りの便を最終便に変更し、傍聴することにした。
じつは昨年12月にも村議会を傍聴したことがあるのだが、そのときはほんの僅かな時間だけで、本格的な村議会傍聴は初体験である。
私は元々は政治学を専攻する人間であるが、恥ずかしながら、議会の傍聴ということ自体、初めてのことであった。議会でのやりとりをずっと聴いていて、「一体、議会(議員)って、何なのだろう?」という強い疑問を抱いたので、「傍聴記」もどきのものを書いてみようという気になった。その疑問を述べるのは、この一文の後半になるが、しばらくお付き合い願いたい。

会議室が議場に
村議会の本会議場は村役場の2階にある。しかし、そこは平素はごく普通の会議室にすぎない。村議会が開催される時だけ、どの市町村でも見られるような「議場」に変身する。私は平素の会議室の状態の時に部屋に入ったことがあるので、「議場」への見事な変身ぶりには驚かされた。年間5〜6回程度、総日数にして最大でも30日〜40日程度しか使用しない議会用の施設を独自に設けるのは「経費のムダ」との考えで工夫されたものだと聞いている。


傍聴席は満杯
私は開会時刻の1時半過ぎに傍聴席に入ったのだが、扉を開けた瞬間、びっくりした。傍聴席は満杯で、辛うじて1席だけ空いているという状態だったからだ。その後も傍聴者が訪れ、役場職員が追加の椅子を運び込んだ。傍聴者は総数19名。都会に暮らす人は「たった19人」と思われるかもしれないが、村議定数が12名の議会でのことなのである。議場にいる議員の数よりも傍聴者の数の方が多いという議会は、そうみられるものではないだろう。また、村の総人口が(幼児・子どもを含めて)約2500人の村である。単純比例計算をすると、人口100万人の都市(ちなみに私が住む京都市の人口は約120万人)の場合、7600人の住民が傍聴することになる。
もちろん、栄村村議会の傍聴席がいつも、こんなに村民で一杯になっているというわけではないそうだ。
今回の臨時議会は、この後に述べる「絵手紙収蔵館」に関する条例の制定をめぐって、非常に緊迫したものだったというのが、傍聴者が多かった直接の理由である。


絵手紙収蔵館
村のスキー場(さかえ倶楽部)の駐車場の一角に、いま、「絵手紙収蔵館」というものが建設されている。もうすでに工事の大半は終わっているようで、収蔵品の収納等の準備作業を経て、早ければ今年7月にもオープンする予定だという。
今回の一文は、絵手紙収蔵館の説明や、その建設の是非を議論することを目的とするものではないので、絵手紙収蔵館についてはごく簡単に紹介するにとどめたい。
栄村は「絵手紙の村」として有名である。1995年に開催された「山路智恵絵手紙展」では、開催期間中(30日間)に約1万2千人もの人が訪れたという。これがきっかけとなり毎年絵手紙の企画公募展が開かれるようになった。
今回、日本絵手紙協会と絵手紙株式会社というところが1億円を村に寄付し、その資金で「収蔵館」が建設されることになった。100万通の絵手紙を収蔵し、100年後、200年後の世代に「2000年の頃、人びとはこんな絵手紙を描いていた」ということを伝えることが主目的なのだという。絵手紙の「タイムカプセル」を作ろうというわけだ。
この「絵手紙収蔵館」の「設置及び管理に関する条例」案等が、昨年12月の定例議会に村長提案で出されたが否決されたため、今回の臨時議会が召集された。


議会って何なのだろう?
本会議と全員協議会
みなさんは、議会の「全員協議会」というものをご存知だろうか。国会にはそういうものはない。しかし、市町村議会にはある。名称だけはよく聞く。ニュースにも出てくる用語だ。
だが、「全員協議会」とは、一体、どういうものなのか? 「全員協議会」の「全員」とは議員全員ということを指しているのだが、それならば、「本会議」とどう違うのだろう?
1時半、議長が「平成19年第1回議会の開会」を宣言し、本会議が始まった。議長が予定されている議事次第に沿って、村長に提出議案の提案・説明を求める。村長が議場正面の演壇に立ち、淡々と議案を提案・説明する。まあ、テレビなどで見る国会の本会議などと基本的に同じ光景だ。
以上の提案・説明はせいぜい20分か30分で終わった(ひょっとすると、もう少し短かったかもしれない)。
その後、私は驚いた。議長が「休憩」を宣言したのだ。私は一瞬、「えっ?」と思った。開会から30分足らずで休憩とは、一体、どうなっているのだ?
ところが、議長も議員も、そして村長らも誰一人として席を立たない。いや、議長が発言を続けるではないか。
「全員協議会にうつります」
たしか、そういう発言であった。それから、議案案件を所管している役場の課の次長が補足説明に立ち、村長らが提案・説明した「絵手紙収蔵館」に関する議案についての質疑が始まったのである。

これはどういうことなのだろう。
傍聴の事前・事後に関係者から聞いた説明を簡単にまとめると、「本会議は議事録が採られる。それに対して、全員協議会でのやりとりは議事録に残さない」ということなのだという。
私はこの日、帰りの便の関係で5時15分に退席したが(議会は7時前まで続いたそうだ)、傍聴した約4時間、そのほとんどが「全員協議会」であった。「一般質問」が行われる定例議会では「本会議」の時間が長いようだが、今回の「絵手紙収蔵館」に関する議案のように、村当局(行政)と議員の間、そして議員間で、見解が鋭く対立している場合や重要案件で説明や理解が十分でない場合、実質的な質疑、議論は「全員協議会」で行われるようなのである。

「絵手紙収蔵館の設置及び管理に関する条例」案について
先にも断ったように、今回の一文は絵手紙収蔵館の是非を議論しようというものではない。議会を傍聴して驚いたこと、疑問に思ったことを2つ、どうしても多くの人に伝え、その疑問について一緒に考えてもらいたいと思い、書いている。
今回の臨時議会には、「設置及び管理に関する条例」が制定された場合に「絵手紙収蔵館」(これは村が所有する公(おおやけ)の施設である)の「指定管理者」となることが期待されている絵手紙株式会社の社長が、説明人として出席していた。社長の説明を聞いて、私は「収蔵館」の概要、その開館のために必要な準備作業の概要を知ることができた。
先に「100万通の絵手紙を収蔵する」のだと書いたが、収蔵するだけでなく、収蔵館を訪れた人がさまざまな作品を見ることもできるようにする。絵手紙は基本的に「葉書き」のサイズだが、それにしても、100万点もの大量の絵手紙を常時、展示することは不可能だ。そこで、100万点の作品すべてをデジタル・データ化し、収蔵館を訪れた人がコンピューターで検索をすれば、希望する作品を見られるようにするというのだ。絵手紙株式会社がそのデジタル・データ化の作業を計画しているが、その絵手紙株式会社が条例に基づいて「指定管理者」に指名されなければ、作業に着手することができない。その他のことの説明は、ここでは省くが、とにかくこの1点だけをとっても、3月の建物完成を前に一刻も早く「設置及び管理に関する条例」を制定することが必要だということは、今回の傍聴だけで十分に理解、了解できた(ちなみに、知り合いの村の人に尋ねたが、その人も同様の感想を話しておられた)。

「条例は要らない」と発言する村議 ?!
ところが、である。ある議員が立って、「私は建物も完成していないいま、条例をつくる必要はないと思う」と発言されたのである。
これには本当に驚いた。ちなみにこの議員は12月議会でも同様の発言をされたらしい。この議員が絵手紙収蔵館の建設に賛成なのか反対なのか、私はよく知らないが、賛成、反対のいずれであろうとも、先に紹介した株式会社絵手紙の社長の準備作業に関する説明を聞いていれば、「もう準備に時間がない。準備をするのは、設置及び管理に関する条例が必要だ」ということは誰にも理解できることだ。
村議会では、これまでに絵手紙収蔵館の問題に関する議論が営々と積み上げられてきた。昨年3月の定例議会では、絵手紙収蔵館関連の予算を含む2006年度村予算が審議され、可決されている。いわば2006年度の村の基本政策が「予算」という形で決定され、それに基づいて絵手紙収蔵館の建設も進められてきたわけである。
ならば、そうして建設してきたものを村の資産として、いかに有効活用するのかを真剣に考え、それに必要な措置を検討・決定することは議会と議員の重要かつ重大な使命であるはずだ。言いかえれば、一人ひとりの議員は、村づくりに大きな責任を負っているはずである。その1つの具体的問題として、絵手紙収蔵館の管理・運営の問題があると思うのだ。
かりに、この議員が「私はあくまでも絵手紙収蔵館に反対だ」という立場にたっておられるのだとしたら、すでに建物が大半出来上がっているものをどのように処理するのかについて、対案(提案)をされるのが当然だろうと、私などは考える。しかし、この議員はそういう提案をされるわけではなく、「ただ条例はまだ早い。要らない」と言われるのみなのである。
繰り返すが、これには本当に驚いた。
そこで、私は「議員(議会)って、いったい何なのだろう?」と、心の底から疑問を感じたのである。これが、私が村議会を傍聴して感じた疑問の第1点目である。

問われる議会の存在意義
京都に帰ってすぐに、この「傍聴記」もどきを書き始めたのだが、大学の仕事で中断されてしまった。その間に、その仕事の必要上、中央大学教授の佐々木信夫という人が昨年(2006年)10月に出版された『自治体をどう変えるか』(ちくま新書)という本を読んだ。じつは、私は佐々木氏の地方自治に関する議論には賛成しかねるところがかなりある。とくに「平成の大合併」を肯定的に論じ、自治体を「経営」という観点から議論されていることには強い違和感を覚える。
しかし、同書で、佐々木氏が自治体議会について書いておられることをめぐっては、「そのとおり」と思う。そこで、その一節を引用・紹介しておきたい。

「制度的に期待されている役割と実際の運営にこれだけ大きなギャップがある機関はめずらしい。その点、地方議会は危機にあると言ってもよい。
議会の位置づけが(地方分権で――引用者注)脇役から主役に変わった。しかし、議会改革の動きは鈍い。確かにこれまで議会も改革努力をしている。だがそれは行革型の議会改革、定数減などの量的改革に止まり、立法機能の強化など議会の質的改革には至っていない。議会の位置が単なるチェック機関から立法機関へと構造的な変化を遂げているにも拘らず、それに応える自覚的な改革が行われていない。多くの議員に役割変化の認識が乏しいからではないか。」(同書p118)

話を絵手紙収蔵館の問題に戻せば、条例案は村長が提案するのではなく、議員提案であってもいいのだ。いや、それぐらい、議員は村が取り組むべき課題を発見・設定し、自ら政策を立案し、必要な条例を提案・制定する(=議会の立法機能)ために、懸命に努力すべき立場にたっていると思うのである。



なぜ、村長(理事者)側には質問権がないのか?
今回の傍聴で、私がたいへん感心したことがある。議員の質問に答える村長や役場職員などの忍耐強さ、辛抱強さである。これは皮肉でもなんでもない。本当に感心したのだ。
上に紹介した「条例をつくるのは早い。要らない」という発言ひとつをとっても、私が仮に村長や答弁に立つ職員の立場にいたら、率直なところ、「ふざけんな! さっきからの説明を聞いていないのか!」と怒鳴ったことだろう、と思うのである。
だが、村長も職員も(そして、今回は参考人の絵手紙の社長さんも)、一人として怒ることなく、同じような「質問」を何度されても、じつに冷静に、そして丁寧に答弁される。私などにはとうてい真似できないことである。
私だったら、怒鳴らないまでも、「じゃあ、逆に伺いますが、条例なしで、どうやって開館の準備作業をしろ、と言われるのですか。それとも、建物は立ったけれども、放り出しておけばよいと言われるのですか。議員のお考えをお聞かせください」と、逆質問をするだろう。

だが、これまでのところ、村議会では、村長ら(行政サイド、理事者側)は答弁するのみで、質問したことは一度もないらしい。これはどうやら栄村だけのことではなく、日本全国ほとんどの地方議会がそういうことらしい。しかし、それはおかしいのではないか。それが私が傍聴して感じた疑問の2つ目のことである。
そこで、私は首長(村では村長)と議会の関係が法律的にはどうなっているのかを調べてみた。関係する法律は地方自治法で、その第121条に、つぎのように規定されている。

普通地方公共団体の長、教育委員会の委員長、選挙管理委員会の委員長、人事委員会の委員長又は公平委員会の委員長、公安委員会の委員長、労働委員会の委員、農業委員会の会長及び監査委員その他法律に基づく委員会の代表者又は委員並びにその委任又は嘱託を受けた者は、議会の審議に必要な説明のため議長から出席を求められたときは、議場に出席しなければならない。


これによれば、首長(村長)は議会の求めがあるときのみ議会に出席することができ、議会が出席を拒否すれば(求めなければ)出席できない。
ひょっとすると、この条項が、「首長は議会・議員の質問に答えれば、それでいい。それ以上、余計な発言はするな」というように解釈されているのかもしれない。しかし、それはとんでもない誤読・誤解である。

首長の反問権を認めた町議会がある!
こういうことを考えていたとき、偶然、昨年末のある新聞記事を見つけた。朝日新聞2006年12月24日の特集記事である。それは地方自治体の議会と首長の関係についてのものである。そこに、北海道の栗山町が昨年5月に議員提案で制定した「議会基本条例」というものが紹介されていた。それは、
「議員の質問に対する町長の反問権」
を認めているというのだ。
早速、私はインターネットで栗山町のホームページを探し、同条例の全文、制定の経過等を知ることができた。そこには、町のホームページには、以下のように書かれていた


「平成12年4月の地方分権一括法の施行以来、地方議会の役割は極めて広範囲にわたり、その責任の度合いはこれまでと比較にならないほど重くなりました。
 栗山町議会基本条例は、いつの時代においても議会としての権能を十分に発揮し、その責任が果たされるよう、4年半に及ぶ議会改革・活性化策の集大成として制定したものです。」


そして、同条例の主な内容として、以下のことが挙げられている。


・ 町民や団体との意見交換のための議会主催による
一般会議の設置 (※@)
・ 請願、陳情を町民からの政策提案として位置づけ
・ 重要な議案に対する議員の態度(賛否)の公表 (※A)
・ 年1回の議会報告会の開催を義務化 (※B)
議員の質問に対する町長や町職員の反問権の付与 (※C)
・ 政策形成過程に関する資料の提出を義務化
・ 5項目にわたる議決事項の追加
議員相互間の自由討議の推進 (※D)
・ 政務調査費に関する透明性の確保
・ 議員の政治倫理を明記
・ 最高規範性、4年に1度の見直しを明記


以上である。
全面的な共感を覚える内容である(※E) 。


自戒の念を込めて
私はここまでに書いてきたような感想、疑問を抱くとともに、自らを戒めなければならないとも思った。私が住む京都市の市議会をテレビ中継で見たことはあるが、傍聴したことは一度もない。また、平素、区役所に行くことはあっても、市役所というところには行かない(市議会の議場も市役所にあるのだが)。ところが、昨年末と今回、栄村を訪れる前日の1月9日、学生の調査研究を指導する関係で市役所を初めて訪れた。そして、そのなんとも言えない「暗い感じ」に衝撃を受けた。
その体験と今回の村議会傍聴とから、私自身の地方自治(自治体の政治)と自身の関わりについて痛く反省した次第である。
最後に、先に引用・紹介した佐々木氏の本の一節をもう1ヶ所、紹介して、この文章を終えたい。

「住民も変わるべきである。議員を地域の世話役と思って、あらゆる行事への出席を求める。その出席度合で次の選挙の当落を決めるといった風土はいただけない。」(同書、p127)

いま、一人ひとりが自らの村(市・町)の政治にどう主体的に関わるか、が問われているのだと思う。
(了)

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脚注(※@)
「一般会議」とは、「法律により活動が制限されている常任委員会、特別委員会等の制約をこえ
て、町政の諸課題に柔軟に対処するため、町政全般にわたって、議員及び町民が自由に情報及び意見を交換する一般会議を設置する」(条例第11条)と規定されている。

(※A)
「議会は、重要な議案に対する各議員の態度を議会広報で公表する等、議員の活動に対して町民の評価が的確になされるよう情報の提供に努めるものとする」(第4条6)

(※B)
「議長から本会議及び常任委員会、特別委員会への出席を要請された町長等は、議員の質問に対して議長又は委員長の許可を得て反問することができる」(第5条2)

(※C)
「議会は、前6項の規定に関する実効性を高める方策として、全議員の出席のもとに町民に対する議会報告会を少なくとも年1回開催して、議会の説明責任を果たすとともに、これらの事項に関して町民の意見を聴取して議会運営の改善を図るものとする」(第4条7)

(※D)
「議員は、議会が言論の府であること及び合議制の機関であることを十分に認識し、議員相互間の自由な討議の推進を重んじなければならない」(第3条)
「議会は、議員による討論の広場であることを十分に認識し、議長は、町長等に対する本会議への出席要請を必要最小限にとどめ、議員相互間の討議を中心に運営しなければならない」(第9条)

(※E)
なお、同条例は、「傍聴者の求めに応じて議案の審議に用いる資料等を提供するなど、町民の傍聴の意欲を高める議会運営に努める」(第2条3)という規定も設けている。村議会を傍聴する場合、議員の手元には議案及び資料が配布されているが、傍聴者には配布されないので、審議されている内容を理解することができない場合がしばしばある。

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