お米つくりを終えて  松尾 真


4月26日の苗箱への土詰め作業以来、10月3〜5日の稲刈りまで、約5ヶ月強の米つくりを終えた。ここに、その過程をふりかえって、米つくりの中で感じたこと、考えたことなどを記してみたい。


●新米を食べる瞬間
10月9日夕、僕がわずか1畝の田んぼでつくったお米を精米し、初めて食べた。
率直に言って、美味しいのかどうか、わからなかった。ただ、 "おかず"ができる前に軽く1膳、試食し、その後、おかずと共に食べた分を含めると、約3杯食べた。

丁寧にお米を洗い、炊飯した。
炊き上がりの合図。"むらし"も終わって、釜の蓋を開ける瞬間、そして、最初の一口を口に入れる瞬間、まるで入学試験の合格発表の瞬間のような緊張した思いであった。

ごはんを食べるのに、こんなに緊張したことはなかった。
この日の、お米は天日干ししたものを、籾からそのまま精米したので、少し籾が残ってしまい、少し食感が劣るような気がした。しかし、翌日、冷えたごはんを食べてみて、「ああ、これは美味い」と思った。一緒に口に入れた仲間の高橋真太郎さんも、「うん、いい米だ」と言ってくれた。
ほっと一安心というところだ。

●楽しかった5ヶ月間
このように緊張した新米試食の瞬間であったが、5ヶ月間の米つくりは、本当に楽しかった。
右も左もわからない。そういう中での米つくりであった。
以前にエッセイで書いたが、6月1日の田植え初日、はじめて田植え機(歩行型)を操作して、実際に田植えをしたときは、必要もない力が腕に入り、その日の田植えが終わったときは、体の芯まで疲れていたように記憶している。しかし、「あぁ、疲れた〜」というのではない。それは心地よい疲労であった。
その後、5ヶ月、「右も左もわからない」という状態から脱け出せたのではない。来る日も、来る日も、たえず新しいことの連続であり、「右も左もわからない」のである。

田植えの直後、田んぼの中の場所によっては、苗が水没しているところもある。「いったい、本当に育ってくれるのだろうか?」という心配の日々である。
そして、7月も迎える頃になれば、苗も伸び、分茎も進んで、とにかく成長してくれていることがはっきりと目でも確認できるようになった。
しかし、そのとき以降こそが、「右も左もわからない」の本番であった。
というのは、稲は着実に成長しつつあるように見える、水見もきちんとやっている、そして、稲の成長にとっての最大の「敵」である田の草も田んぼを這いつくばって取った、さあ、このつぎは何が必要なのか。それがわからないのである。
新聞の記事で読んだことがあるが、お百姓さんの言葉として、「稲の声を聞く」という言葉がある。そう、稲を見つめ、稲と会話するのである。
ところが、「米つくり見習い」の身では、到底、そんなことはできない。毎日、必至で田の稲を見つめるのだが、「見習い」の僕には、稲はそう簡単に語りかけてくれない。

そして、7月下旬には、とうとう葉いもち病の発生をみてしまった。しかも、「殺菌の薬の使用はできるだけ避けたい」と思って、数日様子をみようとしたところ、所用で京都に戻った途端、いもちが広がった。連絡を受け、大急ぎで戻って、殺菌をした。それ以上の拡大は防げたが、つぎの勝負が出穂の後だ。穂いもち病が出ないかどうか。8月中旬に出穂。そして穂ぞろいもして、9月を迎えた。葉いもちに罹った稲にもそれなりに穂がついた。「なんとか、このまま、いってくれ」、これが正直な気持ちだった。
しかし、9月10日昼前、中山間地域等直接支払制度の中間点検で青倉を訪れた県の職員を案内して、西山田の田に登り、僕の田んぼを見に行ったときのことだ。「アッ! 穂いもちが出ている!」。愕然とした。その落胆たるや、言葉には表せない。

だが、穂いもちは葉いもちが出た箇所だけにとどまり、9月29日、ついに稲刈りのときを迎えることができた。
自分でバインダー(歩行型の稲刈り機。稲を刈って束ねるだけ。乾燥は天日干しをする)を使って刈ったが、あっという間に刈り終わった。それまで黄金色の稲が稔っていた田んぼには切り株が残っているだけ。田植え以来、ずっと稲がある田んぼを見続けてきた目には、変な感じだった。

ここまでお読みいただいた方々は、「なんだ心配と苦労の連続で、ちっとも楽しそうではないじゃないか」と思われるかもしれない。
いえ、ものすごく楽しかったのです。心配と苦労の連続だったからこそだろうか。いや、もっと正確にいえば、5ヶ月をふりかえって文章を書くとなると、楽しさは表現しにくくて、書くのは心配と苦労ばかりになってしまうということかもしれない。
とくに、後半に比べて、重労働作業が続いた前半の日々ほど、いっさいを忘れて田んぼでの作業に没頭できて、さまざまな精神的ストレスもふっとび、非常にすがすがしい日々を送ることができた。肉体的にも相当、強靭になったと感じている。脱穀後の籾が30kg入った米袋を、僕が担いで歩くことができるのだ! もっと、もっと、田んぼで体を使って作業をしたいという欲求が体の芯にある。
来春にむけて田起こしをしたり、秋の堰普請をしたり、そして冬は雪をかまう。まだまだ試練の日々が、そして楽しい日々が続きそうだ。


●草とり考
6月、7月は草とりの連続だった。わずか1畝だが、自分の田んぼを草とりするだけでも、1日は優にかかる。それ以外に、作業班の田んぼの草とりも随分とやった。雨の中、軽トラで山に送ってもらい、合羽を着て3時間、夕闇が迫るまで一人で草とりをしたこともあった。
草とりは、百姓にとって「いちばん辛い仕事」とよく言われる。
たしかに、初めて草とりをした後は、腰というよりはお尻のあたりの筋肉が張って、前かがみの姿勢をとることが難しかった。床のものなど、一度しゃがむのでないと、取ることができない。
しかし、これにも徐々に慣れて、8〜9月頃は草とりなどをやっても、ほとんど筋肉の張りは生じなかった。
ただし、百姓が百姓として食べていけるだけの面積の米つくりをやろうとすれば、草とりも容易ではない。除草剤を使いたいという気持ちもわからないではない。とくに、現在の国の圃場整備の基準になっている3反の大きな田んぼなど見ると(栄村から近い津南町や十日町市には、そんな田んぼがいっぱいある)、機械化作業以外は想定できず、田んぼに入っての手での草とりなど考えられない。

そういう草とりだが、僕にとってはかなり楽しい作業だった。
9月頃にノートに記したメモに、「草とり」に関するつぎのような記述がある。

草も生えない田んぼにいい米はできないのでは・・・
――土の豊かさ

人間の都合で、稲以外の草には遠慮をしてもらう
――土の豊かさ(健全さ)を損なわないで、草に遠慮してもらう
抑草 ⇔ 除草、殺草

無我の境地
効率を考えると、「ああ、まだまだか」で、やっていられなくなる

稲が育つ環境を整えることへの喜び
――稲の身になる、稲への一体化



「無我の境地」(が大事)というのが実感である。
田んぼに入り、腰を折り、ただひたすら草を見つめ、草をとっていく。頭の中で何も考えていないといえば嘘になるが、とにかく、ただただ草をとり続ける。どれだけ進んだかはあまり気にしない。
とにかく、稲を取り囲んでいた草をとって、稲が育ちやすい環境になっていく、田んぼの土と稲だけになって、田んぼがきれいになる。ただ、それだけが嬉しい。
1列を終えるのに、相当の時間がかかる。1列は20m程度だが、最初はそれを往復するだけで2時間ほどかかっただろうか。「随分と時間がかかるなあ」とは思ったが、それ以降、「1列をやるのに何分かかるか」などということは考えないことにした。世の中で、いわゆる「作業効率」がこれほど悪い作業もあまりないだろう。「効率」とは逆の世界なのではないか。
人との会話の中で、「草とりは座禅のようなものですよ」と言ったこともある。
座禅では、「無我の境地」ということが言われるが、なにかの本で、「座禅の最中、頭の中になにも去来しないわけではない」と書いてあったことを記憶している。
草とりも同じで、色んなことが頭の中に去来することがあるし、「どれくらい進んだかなあ」と思うこともある。しかし、それでもひたすら草とりを続ける。すると、時間の多くは何も考えず、ひたすら草とりに没頭している自分がいる。それは後から振り返ってみて気づくことである。
ただただ、自然とむきあい、黙々と作業するだけ。

この一見、「無駄」とも思える時間を過ごしていくなかで、そして、それを振り返るなかで、米つくりや自然についての色んな考えが湧いてくる。
上のメモにある「人間の都合で、稲以外の草には遠慮してもらう」という考えも、そういうものである。
田んぼの土は、たしかに米をつくるために人間が水田にしたものだが、そもそもは米作りのためにあるわけではない。色んな生き物が生息するための大地だ。草も生えない土ならば、それはほとんど栄養分がない土で、稲も生長できるはずがない。そもそもは、草が生え、それが枯れ、そして土の栄養分になっていったはずである。
除草し、枯れ草などの栄養分が減った(無くなった)分、それだけ多くの化学肥料を入れる。要は、土を貧しくした分、自然ではなく科学の力で作った「栄養分」を補うわけだ。しかし、徐々にあきらかになってきているが、自然がもたらす栄養分は、近代科学が解明できている基本栄養素だけではなく、もっと色んな微量栄養素を含んでいる。そのすべてを人間(科学)が解明し、すべて人工肥料で補うことはほぼ不可能に近いだろう。

そうそう、田んぼの草とりをしたことがない人はご存知ないだろうが、「草をとる」という作業の正確な姿を伝えておく必要がある。
僕は「抑草」と「除草」は違うものだと思う。「除草」はじつは「殺草」ということである。それに対して、「抑草」としての「草とり」は、小さな草(まだ田んぼの水面に頭を出した程度の草)は"とる(取り除く)"のではなく、"土の中にねりこむ"のである。土に手を突っ込み、かきまわし、根が浮いた草を土の中に埋めてしまうのだ。そうすると、その草はもう生長を続けることができない(酸素分が不足・欠乏するため)。そして、きっと土の中で腐り、土の栄養分になっていく。
土の中にねりこめない、少し大きく成長してしまった草も同様である。僕はそこまではやらなかったが、とった草を畦の端っこなどに積み上げ、いったん乾かし、そして堆肥化することができる。これも草をただ殺すのではなく、自然界の循環の中でじつは生かして(活かして)いくわけである。
除草剤というものは、これとは異なる。
道端などに除草剤が撒かれた後を見ると、撒布からしばらく後、草が立ったまま、茶色に変じて枯れている姿がある。除草剤は土中に浸透し、まず根を枯らすのである。そうして、根っ子から栄養を吸収できなくなった草が立ったまま枯れていくのである。
除草剤で枯れた草は、見ていて、非常に汚い。他方、草とりをして、畦の端などに積まれて枯れていく草は意外と趣きがあるように感じる。
いま、ふと思ったが、病気で枯れた木と、紅葉し、さらにその後、葉を落としていく木の相違と似ているように思う。

「草とり」は悪いものではない。
もちろん、時間もかかるし、たいへんな作業ではある。
来年は、もっとたくさんの田んぼをやりたいと思っているが、その草とりは大変だろう。だからこそ、安易に除草剤を使うのではなく、抑草の技を磨きたい。そして、「一人が1アールの田んぼをかまって、自分が食べるお米をつくる」ことにすれば、一人ひとりが、1〜2日、田んぼに入るだけで草とりはできる。そういう自然との付き合いがあっていいのだと思うのである。


●棚田
9月の初めの日曜日、作業班がやっている田んぼすべてを写真に収めておこうということで、仲間の高橋真太郎さんと西山田の田んぼを廻った。すべて棚田である。
31枚ある田んぼの3分の2ほどを廻ったところで、二人でどっかと畦に腰をおろした。眼前には何枚もの棚田が広がり、その先には(千曲川を挟んで)野沢温泉方面の山々が鮮明に見える。

   「いい眺めだなあ」
   「最高だ」
   「畦に腰をおろして、この景色を眺めていたら、1時間や2時間、飽きないですよ」
   「田んぼはやっぱり青いのがいいなあ」
   「10月後半や11月前半だったら、まだ、ここまで来れるよね。
    稲を刈った後の田んぼを、ここから眺めたら、どんな感じだろうか」

こんな会話をした。

本当に棚田はいい。なによりも眺め、景観がいいのだ。
僕の棚田観は、この春以来、めまぐるしく変わった。
昨年来、くりかえし「やあ、棚田はいいな」と言い、そのたびに青倉の住人から苦笑されていた。僕は主として景観を見ているのに対して、住人は棚田の作業の大変さを問題にしているのだ。
今年の4月だったか、いよいよ自分もここで田んぼをやるんだと思いながら、西山田の棚田の一角を丁寧に歩いてみた。1枚の田の畦に沿って歩いてみる。畦(−田の形)はまっすぐではない。片方の端は小高い丘のようになっていて、そこにはかなり大きな木が鬱蒼と生えている。朝方だったが、その木々のために陽が差し込まない。「これは陽がなかなか当たらないから、米の生長には厳しいな」と思う。
田んぼから田んぼへと移動する。「農道」とは言われているが、曲がりくねり、土の道で人間が歩くのにも結構たいへんな道。ここを通って、田んぼに機械を入れるのは大変だ。いや、そもそも人が田んぼから田んぼに移動するだけでも、けっこう面倒だ。水路も随分と複雑な仕組みになっている。
この日の見聞で、僕の棚田認識は大きく変わった。
「米つくりをするには大変だ。『棚田はきれい』なんて言っていられない」、と。
しかし、8月の初め、都市部からやって来た研究者の人たちを西山田に案内して、また、棚田観が変わった。
じつはその日、西山田に案内する前に、圃場が整備された別の地区の山の上の田んぼを案内した。そこに上るのは僕も初めてだったのだが、1haないしそれ以上の長方形に整備された田んぼが段状に整然と並んでいる。たしかにそれは棚田なのだが、率直にいって、棚田の趣きのようなものはまったく感じられなかった。
その後、西山田に行くと、俄然、西山田の棚田のよさが明確になった。
西山田の棚田は、ほとんど圃場整備されていない。そのため、不整形の、しかも小さな田んぼがいっぱいある。1反(10a)規模の田など、ほとんどない。
だからこそ、美しいのである。景観が。多くの人が「棚田」という言葉から連想する姿・景観がそこにはある。
「未整備であることを逆手にとって、グリーンツーリズムのようなものを大いにやることができるのではないか」というのが、僕の考えとなった。
この考えは、9月半ば、「棚田百選」に選ばれ、国の文化財にも指定されている姨捨の棚田を訪れて、ますます強くなった。
たしかに棚田全体の規模は西山田など比べものにならないほど広大だ。だが、最初、下から棚田を見上げたとき、「えっ、これが有名な棚田なの? あまりいいと思わないな」と思ったのである。「山深い中にある」という、僕の棚田イメージとはまったく違ったからである。そして、その後、棚田に上がって、下を見下ろしたとき、さらにがっかりしたことがあった。棚田の下には、千曲市の街並みが広がり、広い国道やビル、マンション等がたくさん見える。先に書いたとおり、西山田の棚田の畦に座り込んで前方を見ると、棚田が、そして山々が見える。家などは1軒も見えない。ただ田んぼと山だけである。僕はやっぱりこちらの方がいい。
ただ、姨捨で感心したことがあった。ちょうど稲刈りの真っ最中だったのだが、かなり広い田んぼも含めて、すべてはぜかけなのである。コンバインが入っている田んぼが見当たらない。不思議に思って、稲刈り作業中のお百姓さんに声をかけて尋ねてみた。「土が軟らかいなど、機械が入れられないからですか?」。返ってきた答えは、「いいや、はぜかけの天日干しの方が米は美味いよ」。棚田への愛着は西山田よりも強いと感じた。

いま、僕はどう考えているか。
作業班が受託する面積は今後も拡大する。作業するメンバーの人数は基本的に変わらない。となると、作業効率を考えて、一定の圃場整備もしなければならないな、とも思う。しかし、同時に、いまの棚田の姿に何物にも代え難い素晴らしさを感じている。
「作業効率」といってしまうと、あまり問題が見えてこなくなるようにも思うのだが、かなりの量の面積の棚田をていねいに世話して、米をつくるというだけでは「食べていけない」という経済社会の現実があるのである。ここをなんとかしなければ、棚田は守れない。
僕自身を含めて多くの人が棚田を見て感動する。棚田には、おそらく、自然と人間が(人間が自然界の一部として)共生していく関係性の原点があるのだろう。だからこそ、自然界の一部である人間が、「ほっとする」空間と時間が棚田にはあるのであろう。
景観を眺めるときは自然と人間の共生関係に目をむけるが、、米つくりという活動になった途端、それを食料生産活動(産業)としての農業として見て「効率性」を最優先する経済社会の論理が一人歩きする(優位にたつ)――こういうことでは棚田は守れないのである。


●暮らしの時間を見直す
――食を生活時間の中にどう位置づけるか

10月10日、野田沢に稲刈りの手伝いに出かけた。田んぼに向かうとき、集落のある家の前でかあちゃん(ばあちゃん?)2人が筵に豆かなにかを広げて、作業していた。また、稲刈りに行ったお宅に昼食で戻ったとき、庭には落花生が筵に広げられ、、小豆が笊に入れて、それぞれ天日干しされていた。
野田沢には夏にも学生たちを連れてお邪魔しているが、とにかく夏野菜が豊富で、出された昼食は野菜料理ばかりで10種類近くあった。すべて家の周りあるいは近くの畑でとったものばかりである。こういう自家用の野菜をつくる畑を青倉などでは「せっつえもん畑」と呼んでいる。
春5月頃は、ほとんどの家の前で、筵やシートを広げて、ぜんまいを干し、揉んでいる。
なんらかの作業をしている場合であれ、ただ干しているだけの場合であれ、そこにはゆったりとして時間が流れ、じつに長閑である。
かあちゃん、ばあちゃんたちは、そして、台所にたち、茹でたり、煮たり、和えたりと、色んな料理を1時間、2時間とかけて作っていく。
誰かの家を訪ねると、「まあ、上がって、茶でも飲んでゆけや」と声がかかる。言葉に甘えて上がり、座ると、お茶よりも先に漬け物が出てくる。夏から秋にかけてであれば、きゅうりやズッキーニの浅漬け、冬であれば野沢菜漬。みょうがを酢に漬けたものも出てくる。そして、お茶。お茶もどんどん注いでくれ、そのうち、今度は野菜の煮物まで出てくる。「お茶請け」とはいうが、ごはんのおかずと変わりない。とにかく、色んなものがいっぱい出てくる。
お宅にお邪魔して、昼時や夕食時にかかると、その家のかあちゃんが、「おい、まんま、食ってゆけや」という。遠慮を知ることも大事だが、遠慮なくいただくことも大切だと、最近では思っている。
どうも、食事(の用意)の感覚が、都会の家庭とは違うようだ。いまどきの都会の家庭であれば、食事は基本的に家族の人数分だけ用意する。田舎、それも60歳代以上の人が台所をきりもりしているお宅では、色んなものをたくさん作る。たとえば漬け物は、それこそ「丼に山盛り」という表現がぴったりなくらい切って出す。煮物なども、かなり大きな鍋にいっぱいつくる。食卓は、いろんな料理が基本的に大盛りでテーブルの真ん中におかれ、一人ひとりには、ごはんと汁物以外は、箸と取り皿が1〜2枚、渡されるだけ。あとは自分が食べたいものを大盛りから取り皿にとって食べる。だから、食べる人が突然、1人や2人増えても、なにも困らないというわけである。

少しばかり、むらの食の様子を記したが、そこにむらの暮らしのあり様が凝縮して示されているように思うのである。
米をつくる、野菜をつくる、あるいは山菜を採ってくる、それから時間をかけて加工したり(漬け物)、料理したりする、そして、食事で、お茶飲みでゆっくり食べる。「食」が暮らしのど真ん中にどーんと座っていて、食べるものを得るために労働し、労働の中で食べることを楽しむ、そのためにも農作業をする。こういう暮らしである。
翻って、都市の暮らしはどうだろうか。
もちろん、食事をしなければ、体を、生命を維持できないから、誰しも、食事をする(というか、何かを口に入れる)。
しかし、この「食」のために、いったいどれだけの時間と労力、エネルギーをかけているだろうか。まず、米や野菜を自分でつくることは基本的にない。料理はどうか。加工調理された食品が増えているし、「中食」という言葉が当たり前になるほど、「チン」だけすれば(あるいは、しなくても)、そのまま食べられる惣菜を購入する人が増えている。そして、家族が全員揃って食卓を囲むことは珍しくなっている。長野県の鬼無里で中学校の修学旅行を受け入れる民泊を始めているが、聞くところによると、子どもたちがいちばん感激することの1つが大勢で食卓を囲んで食事することだという。父親は夜遅くにしか帰らず、子どもも塾通いというなかで、「個食」(孤食)がふつうになっているからだとのこと。さらに、都会のサラリーマンで忙しい人などは、職場の中でコンビニ弁当や宅配ピザなどを喉に流し込むだけで、食事をするという感覚すら喪失してしまっているケースすら見られる(これはインターンシップで出版社に行った学生が「驚きの体験」として語っていたことである)。

「人間、パンのみにて生くるにあらず」とは言うが、それも「食」ということが人間というもの、その暮らしの中心にどーんとあることを認識すればこその話である。ところが、現代人(とくに都市居住者)の暮らしでは、「食」はけっして暮らしの中心には存在していないのである。
たしかに、産業革命を大きな起点として社会的分業が進み、生産力が向上し、そのことによって、人間は「食べものを確保するために、時間の大半を費やさなければならない」という制約から解放された。その結果、物質的な豊かさを享受できるようになったし、精神的な面でも、ある意味では随分と豊かになったといえると思う。
しかし、「食べものを確保するために、時間の大半を費やす」ことは人間にとって克服すべき制約性だといえても、「食べものを確保するために、一定の時間を費やす(時間をかける)」ということまで忘れてしまっていいわけではない。いや、けっして忘れてはいけない。
年寄りじみたことは言いたくないが、僕の世代であれば、まだ少なくとも子ども時代には土をいじり、なにかの作物をつくることにいささかでも関わるという機会があっただろうし、そこまではいかなくても、自分たちが食するものがどのようにしてつくられているのかを間近に見る機会は豊富にあったと思う。僕は小学校3年生のときに滋賀県彦根市から京都に戻り、京都市山科で小学校時代の日々を過ごしたが、学校の行き帰りは田んぼの中の道を行くものだった。帰り道には稲刈りされた後の田んぼで随分遊んだものだった。
しかし、高成長以降の現代日本社会はそういう機会をほとんど壊滅的に潰してしまったのではないだろうか。そして、それは若い世代だけの問題ではない。僕らの世代も、そういう記憶を喪失してしまっている場合が多いのではないかと思う。

これは、先に述べた制約性からの解放どころか、人間が人間たりうるための基本を忘れ、否定するということではないかと思う。

われわれが自らの食するものをすべて自分でつくり、採取するというようなことは、少なくとも現代においてはありえない。しかし、すべての人が自らの暮らしのうちに、食べものを手に入れるために土と触れ合う機会が年に少なくとも数回くらいはあって然るべきではないのだろうか。
そして、そのことをベースとして、食べるという行為をもっともっと大事にすべきだと思う。食料自給率の低さがしばしば話題になっているが、それは単に食料の何%が国内生産されるかという問題に矮小化されてはならないと思う。食のあり方の根本的な見直しが必要である。
いま、多くの人がごはん(お米)の美味さを知らない、その栄養価の高さを知らない、ある意味では肥満予防にも最も効果的な食事が米飯中心の食事であることを知らないばかりか、米飯が悪いものだと思い込んでいる。そして、脂っこいものや甘いものばかりを求めて、輸入食材に手を伸ばし、大して意味のない食材・食事にばかりカネをかけて、本当は安すぎるお米に対して「高い」などという非難を浴びせる、その結果、食料自給率は下る一方という現状を変えることはできない。
そのあたりのことをそろそろ自覚すべきだろうと思う。

そういう意味で、みんなが、現在のお米の1人当り年間消費量(60kg弱)のお米を収穫できる1アールの田んぼをかまってみてはどうかと思う。あなたも一緒に1アールの田んぼをやりませんか、年に4回程度、棚田に足を運べばよい。肉体的・精神的健康にも非常にいいと思う。
「一人1アールの田んぼを!」、これが初めての米つくりを終えたいま、いちばん、声を大にして言いたいことである。



home