村長さん宅の田植え 渡邉 加奈子



2007年5月19日から23日まで、栄村を訪れた。今回の目的は、田植えの体験。学生時代には「研究のため」に栄村を何度となく訪れた。しかし、村の暮らしの基本をなす「農」の営みを何も経験していないことに気づき、村の「農」、とくに米作りをする機会を得たいと思いつづけていた。そして、この度の訪問となった。

●天気に左右される田植え
栄村に到着した初日、私は学生時代の指導教員だった松尾先生と現役学生の田中美奈子さんの3人で、村長・橋彦芳氏の自宅(青倉集落)を訪れた。自宅の横の田んぼで、彦芳氏の奥様である廉子(れんこ)さんとお嫁さんが田植えをしていた。私は、翌日(5月20日)に田植えをお手伝いさせていただく約束をし、美奈子さんも同行してくれることになった。
約束の時間は、朝8時30分。しかし、朝、目を覚ますと、しとしとと雨が降っている。「これぐらいの雨だったらやるのかなぁ?」。
廉子さんに電話して聞くと、「雨天中止」となった。栄村の農家の多くは兼業農家で、週末しか農業が出来ない家では雨でも田植えを行なっている。しかし、彦芳氏の家では、いまでは専業主婦の廉子さんが行なうので(お嫁さんも手伝うが)、天気が悪ければ、延期することもできる。


●田んぼを"つくる"
 翌日(5月21日)は快晴。昨日と打って変わって暑くなりそうだ。約束の時間に遅れないように、宿泊していた森集落から青倉まで30分かけて歩いていった。
廉子さんは、すでに田植えの準備に取り掛かっていた。自宅横の田んぼに苗を適当な束にちぎって投げ込んでいる。廉子さんの家には、農作業に必要とされる機械がほとんどなく、あるのは脱穀機だけだそうだ。「田おこしは、地元の若い人に頼んでいるの」とのことで、それ以外の田植えや稲刈りは手作業になる。それも、持っている田んぼ12.5a分すべてをだ。
畦を見ると、綺麗に土で塗り固められている。田植えをする前に、畦の草を鍬で剥ぎ取り、田んぼにひいた水と土を混ぜて泥状にしたもので畦を塗り固める。そうやって畦をつくり、保つのだ。そうしないと、水漏れする。よくみれば、他の田んぼは、畦が低いものがかなり多くある。また、土で畦を固めるのではなく、トタンのようなもの(畔シートという)をおいている田んぼも見かけた。おそらく、土で畦を固める手間暇をかけられないのであろう。高橋家の田んぼを見て、米を作る前には、"田んぼを作らなければならない"ということを思い知った。


●田植え開始―目の当たりにする技術
さて、帽子とゴム手袋をお借りして、田んぼ用の長靴を履く。いざ田んぼの中へ。
入った瞬間、「やわらかい」。平素私たちが歩くような土の道とはまったく違い、とろっとしていて、むしろ「気持ちがいい」くらいだった。きっと、田んぼの手入れがされていないと、こんな土にはなっていないだろう。稲にとっては、最良の「ベッド」だと感じた。
昨年秋に廉子さん宅を訪れた時に、田んぼで野焼きをしていたことを思い出した。稲刈りのあと、稲が散らかったままだと田んぼに日が当たらないため、土が悪くなる。そのため、刈ったあとの稲を集めて燃やす。灰は肥料になる。きっと、この作業が土を良くし、アメンボやカエル、その他たくさんの生き物を迎えられる田んぼになるのであろう。

 「じゃあ、私は5列植えるから、3列お願いね」。田んぼの端から端までを植えるのに、廉子さんは一度に5列を植える。初心者の私たちは3列ずつ進む。
手植えをする前、「うまく植えられないのではないだろうか」と心配をしていた。が、思ったほど難しくなく、そっと稲を田んぼに置くと、うまく田んぼが稲を包んでくれる感じ。順調に前進していくのだが、田んぼに引かれた線の上に植えているつもりでも、振り返って見ると、いびつに曲がっている。
しかし、廉子さんは、すっすっと手早く綺麗に植えていく。私たちが必死になって半分を植えたころ、廉子さんはすでに向こうの畔にいた。私たちは、廉子さんの半分以下の量で倍の時間がかかっていた。
 手足は私のほうが長いだろうに、真似をして5列ずつ植えようとすると、体勢がきつくて田んぼの中でひっくり返りそうになった。
 途中休憩をはさみ、作業を再開。ちょうどお昼に作業は終了した。約5aを3人で約3時間かかった。
 昼休み。廉子さんの手料理をいただく。平素、都会ではスーパーで買うような「昆布巻き」も手作り。スーパーで買うよりも、格段においしい。おいしいおかずをいっぱい頬張る。「ガツガツ食べて、いやしい」なんて言ってられない。おいしいものはおいしい。
 昼食後、「お昼寝」の時間をいただく。横になると、廉子さんの家の窓から見える田んぼと山、青空、村の景色が見える。不思議とゆったりした気持ちになり、眠くなる。「農業って、きついけど、ゆったりだなぁ」と思った。


●棚田での農作業
 休憩をおえ、2枚目の田んぼに挑む。廉子さんの家は、自宅横に正方形の約5aの田んぼ2枚と、そこから少し離れた山の斜面に約2.5aの棚田の田んぼがある。
 この田んぼは、自宅横の田んぼとは違い、山村というとよく想像する形の曲がった「棚田」。田んぼまでたどり着くには、滑りやすい小道を登らねばならない。前日の雨のせいで、いつもより滑る。田んぼにたどりつくまで一苦労。仮に田植え機を持っていても、道が狭くて機械を入れることができないほどの狭さ。また、機械を入れる道をつくるのは地形的に難しい。「機械化」は容易ではないのだ。
田んぼを見ると、水が緑色に濁っている。いったい何が起こったのかと思って尋ねてみたら、「アオミドロだね。天気がよくって、水があったかくなると、よく出るのよ」と話してくださった。「田んぼは生きている」という感じがした。
 アオミドロがいるままだと作業がしにくいので、田んぼの水の出し口から水を抜く。しかし、新しく水を入れると、水の温度が下がってしまうので、うまく稲が育たなくなるそうだ。ここでも、「田植えは自分のスケジュールにあわせて」というわけにはいかないことがわかった。
アオミドロが消える程度に水を抜きつつ、稲をまっすぐ植えるために、何十年も昔に木と竹で作った道具で線をひく(特別な名称は無いらしく「線をひくやつ」と呼んでいるらしい)。
 何かの目印をつけてから引くんだろうと思っていたら、廉子さんは何の目印も無く、突然線を引き出し、驚いた。しかも、その線は歪むことなく、まっすぐなのだ。綺麗に線が引かれたものの、水が濁っていて、線が見えない箇所がある。私たちは、線がはっきりしているところから手植えをすることにした。
 しかし、だんだんと濁ってきて、線がはっきりしなくなった。悪銭苦闘しながらも何とか線をたどって植えていくが、途中で隣の線と混じってしまうこともあった。
 「(線が)見えにくいところは、置いてていいよ」と言われたので、難しいところは廉子さんにお任せした。しかし、線が見えるはずのところをやっていた私たちよりも、手際よく、そして美しく植えていく。廉子さんの「技」には驚かされっぱなし。
 2時間ほどかけて、すべて植えきった。手植えで一日かかって、3人がかりで(途中で宮部結さんが合流し、4人)ようやく7.5aを植えた。
 「お茶にしよう」と用意してくださった缶ジュースを飲み、お菓子を頬張る。目の前には、自分たちが植えた苗が田んぼには頼りなく植わっている。はるか向こうにはまだ山頂に雪が残る苗場山。鳥の声が聞こえ、遠くで手植えをしている人たちの姿が見える。
なんともいえない充実感で、私は大満足だった。しかし、棚田を下りるころには、足がパンパンになって、歩くのもおぼつかない。若い女3人がそんな状態なのを尻目に、おそらく自分の祖母の年齢とそう変わらないであろう廉子さんは、しゃきしゃきと歩いていくのだった。

水の管理
 翌々日(5/23)、大阪に帰る前に、廉子さんに挨拶に行った。廉子さんは、一昨日植えた田んぼの補植をされていた。田んぼを見ると、頼りなく植わっていた苗が、「しゃきん」と植わっているように見えた。
 「すごい! なんだか大きくなっているみたいですね」
 「そうでしょう。すぐ大きくなるんだよ」
他人の家の田んぼ(苗)なのに、その苗たちがとてもかわいく思えた。
 「後は、水の管理が大変」とおっしゃっていた。廉子さんの家では、一度だけ除草剤をまき、あとは無農薬で育てる。除草剤を長持ちさせる(長く田んぼにとどめておく)には、水を切らしてしまっていけないらしい。徐々に水を足していって、一定の量を保たつようにし、除草剤の濃度を徐々に薄くして、最後はなくなるようにする。とはいえ、冷たすぎると苗は育たないので、量だけでなく、温度にも気をつけなければならない。
平素、決まりきったスケジュールの中で働いている私からすると、「雨だから仕方ないね」といって田植えを中止したり、毎朝田んぼの声を聞き、稲を育てている廉子さんの暮らしは、自然に左右されながらもそれを当たり前のように受け入れている。自然によって、自分の暮らしが「規定される」といった堅苦しいものではない。「自然と共生する」とは、こういうことなのではないだろうかと考えさせられた。
帰宅後、廉子さんにいただいた栄村のアスパラをおいしくいただいた。稲の成長を見るためにも、次は夏野菜のおいしい時期にまた行かなければ、と思っている。

home