5月23日、栄村西部地区にある小滝(こたき)集落の田植えを見せていただいた。
これは、どうしても見たいものだった。というのも、小滝の住人・樋口正幸さんがなかなかの"こだわりの百姓仕事"をする人だからだ。僕は、一度、正幸さんから徹底的に話を聞いて、「小滝物語」を書いてみたいと思っているほどである。

まずは、正幸さんとの"出会い"について少々。
昨年の春だったと思うが、役場に勤める樋口正幸さんを、村の知人から紹介してもらった。それをきっかけとして、折にふれて、お会いし、お話を聞かせてもらったりしている。昨夏は小滝の自宅を訪問させていただき、小滝集落を案内してもらった。「農業は面白いよ」と言われるが、心の底からの思いであることがびんびんと伝わってくる。ただし、若い頃は「農業が嫌だった」とのことだが。その転機をめぐる話も少し聞いたが、おいおい詳しく尋ねてみたいと思っている。
また、今年の冬2月、学生たちが自主プログラム「雪体験」で村を訪れた際には、スキー場の上方で"雪の中の道なき道を歩く"ことを指導してもらった。

さて、その正幸さんが23日は田植えをすると数日前に聞き、田植え見学を了解してもらった。
22日夜、正幸さんの携帯に電話したが、つながらなかった(後で聞くと、もう寝た後だったとのこと)ので、23日朝、再び電話して「今日は何時から始めますか?」と尋ねると、「8時から」とのこと。僕の住み家から小滝まで歩くと優に4〜50分はかかるだろう(僕は車が運転できない)。急遽、正幸さんの親友でもある広瀬明彦さんに電話して、明彦さんが西山田の棚田に田かきに出る前に、車で送ってもらうことにした。

小滝集落は小さな集落である。千曲川沿いの小高い丘の上にある。水内地区の横倉と千曲川を挟んで、ちょうど向かい合う形になる。水内地区から行く場合、百合居橋を渡って、野田沢・大久保等に向かう県道を進むが、橋を渡ってすぐの月岡集落を越えたあたりで、県道から左に折れ、先には小滝集落しかないという村道を車で進むと、村道に入ってから数分で小滝集落に入る。
小滝集落には牛舎がある。

肉用牛を飼育している。だから、牛舎から少し離れたところでも、風向き具合如何で、牛舎特有のにおいがプーンと漂ってくる。率直に言って、僕自身はまだこのにおいに慣れられない。「小滝は牛を飼っているから、やはり独特のにおいがありますね」。田植えを終わって帰るときの軽トラの中で僕が言うと、正幸さんは「ほー、感じるかね。俺たちはわからないんだけどね」と言った。機械化以前の農村であれば、どの農家も役牛や馬を飼っていたから、農村では当たり前のにおいであったであろう。さしずめ、都会であれば「臭気公害」と非難されることだろう。

これまで小滝集落を何回か訪れていたが、正幸さんの家や、そのすぐ近くのエノキダケ栽培農家のあたりが中心だったので、圃場(田んぼ)そのものはきちんと見たことがなく(田んぼは集落の家々がある場所よりも、千曲川寄りの少し低い所にある)、「とにかく小さな集落だ」という印象を持っていた。
しかし、今回、すでに田んぼに出ていた正幸さんを追っかけて、田植え機のある場所を目安に圃場に向かってみて、驚いた。僕が平素歩き回っている青倉集落では見られないような1反以上の田んぼが整然と並び、広がっているのだ。


(写真撮影が下手なので、
この写真ではいまひとつ実感しにくいだろうが)

正幸さんの話によると、小滝はかつて水不足が深刻な問題で、その解決を図ることを1つの契機として、稲作営農の共同化(集落営農)に取り組み、圃場基盤整備をしたのだとのこと。それによって、平均1反程度の比較的広い圃場が整然と並ぶようになっているのである(ただし、千曲川の狭い河岸段丘に立地していて、山が間近に迫っているという地形そのものは変わらないので、圃場整備の対象とはなりえなっかた、かなり狭い田んぼがある箇所も集落内にはある)。

集落営農組織としては、「小滝農業改善組合」が1991年に設立されている。集落は19戸から成るが、16名が組合員となっており、その水田面積は7.5ha(7.5町=75反)である(1997年のデータ)。共同化されている作業は播種・育苗・田植えで、田植え後から収穫までは個人作業である(栄村の集落営農にはこのタイプが多い)。
23日の田植えの手伝いの過程で、苗箱を取りに苗床に行ったが、1700枚ほどの苗箱を作っているとのことで、僕がこれまでに栄村で見た苗床ではいちばん広いものだった。

(ちなみに、これまで苗床を外見だけ見ていて、ほとんど水が見えないので、「どうなっているのだろう?」と疑問に思っていた。今回、苗床から苗箱を取り出す作業を実際にやってみると、苗箱の下には水が充分にあり、取り出した苗箱からは水が滴り落ちた。)
播種・育苗だが、スジ蒔きした後、しばらく芽出し機(温度を一定のレベルに保つもの)に入れて、ある程度芽を育ててから苗床に移すようにした方が確実に苗を育てることができる。しかし、この芽出し機、購入すると5〜60万円もする。間接的に聞いたところによると、「1年に1回しか使わないものに、そんなに金をかけるわけにいかない」ということで、正幸さんが自前仕様のものを作ってもらったところ、10万円で済んだとのことである。こういう工夫をしているあたりにも、「農業は楽しいよ」という正幸さんの思いが滲み出ているように思う。

田植えの共同作業は、ある日に集落営農参加者が全員集まって一斉に田植えをするという形態ではない。共同作業用の乗用田植え機(6条植え)が1台しかないということが決定的な要因になっているのだと思われるが、1日毎の当番が田植えをして、ほぼ1週間をかけて作業を完了させるという方式である。この方法で、上記の田植え機が入る田んぼ・約6町4反を田植えする(残りの部分は手押し型の田植え機で各家が行う)。
田植え機に乗るオペレーター1名と苗運びなどの補助をする1名の2名1組の当番体制である(06年度までは3人体制だったが、今年から2名体制になったそうだ)。
23日の場合、正幸さんがオペレーターで、中澤さんという方が補助だった(中澤さんは昨年までは森林組合勤務で、今年から共同作業に本格的に参加されるようになったとのこと)。

正幸さんの田植え機操縦というか、田植え作業は「職人技」あるいは「芸術的」とも言うべき見事なものだったが、それについて書く前に、「補助作業」について記しておきたい。
田植えの補助作業については、「苗運び」をするのだということは聞いていた。が、「苗運び」という言葉からは非常に「単純かつ簡単な作業」というイメージしか浮かんでこなかった。いいかえれば、「必要不可欠ではあるが、それほど難しくない作業」というイメージである。実際に手伝いをさせてもらった経験のうえにたっていうと、けっして「単純かつ簡単」というものではない。まず、その主な作業内容を列挙してみよう。
・ 苗床から苗箱を取り出し、軽トラの荷台の苗箱棚に収めて、圃場まで運ぶ。



この苗箱棚、じつは数日前まで僕は知らなかった。苗箱へのスジ蒔き、苗床に苗箱を伏せる、というところまでしか経験していなかった僕は、苗箱を重ねて置いていた段階までしか見ていなかった。しかし、少し考えればわかることなのだが、苗が育ってきたら、苗箱を重ねることはできない。当然、写真4のような装置が必要になる。
・ 田植え機が動いている田んぼの畦に苗箱を持ち込み、田植え機に載っている苗が減ってくると、補充する。その段取りは、

イ. 苗箱の苗の一部をひゅっと持ち上げ、苗箱から苗を剥がしていく

ロ. そして、プラスチック製板を苗の根と苗箱の間に差し込んで、そのプラスチック製板に載せて、田植え機に搭載できるようにする
(このイ、ロの作業、書くと単純なことなのだが、実際にやるとなると、結構たいへん。1枚の分厚い絨毯のようになっているものを途中で切ってしまわないか、苗の根を無用に切ってしまわないか等々、心配であり、初心者はなかなか手を出せない。僕は最初の1時間ほどは見ているだけ。午後になってようやく、それなりのテンポでこの作業をやれるようになった)

(根は苗箱から外に張り出している)

ハ. 田植え機は、田植え機の後方部分に
植える苗を載せていると同時に、

運転台の両脇に補充用の苗をプラスチック製板6枚分載せている。

田んぼの中で田植え中に後方に乗せている苗の数が少なくなってくると、ブザーが鳴り、オペレーターは運転台両脇の補充用の苗を後方に移す。

ニ. 補助員はこの様子を畦から見ていて、オペレーターが苗を補充して運転台両脇の補充用苗がなくなったのを確認すると、補充を終えて田植えを再開した田植え機が畦に近づいてくるのを待ちうけ、空になったプラスチック製板をオペレーターから受けとり、さっと上記イ、ロの作業を行い、オペレーターに苗を渡す。
そのとき、オペレーターは受け取った苗を田植え機後方に補充し、空いたプラスチック板を補助員に戻して、
さらに運転台両脇に乗せる分を求めてくる。これをいかにスムーズにやるかで、田植えの効率、リズムが左右される。


ホ. 上記ニの作業をしながら、田んぼの広さとの関係で、その田んぼの田植えを完了するのに、苗があと何枚必要かの見当をつけ、苗を軽トラから下す、それでも足りないときは苗床に取りに行くということもしなければならない。
というものである。

・ 田植え機の前方両側(補充用の苗の置き場の下)にペースト(肥料)を入れる容器が付いている。苗を田んぼに植えると同時に、その箇所にペーストが注入されるという仕組みである。
このペーストも、1枚の田んぼの田植え中に補充する必要が出てくる。それに備えて、ペースト配合の機械を載せた軽トラが別に1台あって、補助員はその配合作業も同時に進めていることが求められる。

おおよそ以上のようなものだが、23日はカンカン照りで、朝8時過ぎから夕6時頃までの作業はけっして楽なものではなかった。(途中、10時頃と4時頃に畦でお茶飲みの休憩。昼休みは正午過ぎから1時間強で、この時間だけは屋内に入っての休憩)

さて、正幸さんの田植え機操縦である。
乗用田植え機で田植えする場合、田んぼに機械を入れた後、どういうコースで機械を進めるかが非常に重要である。その重要性は農業誌などで少し齧っていてはいたが、実際に見るのは初めて。
正幸さんは、まず、田んぼの一番の外周を苗を植えずに一周する。そのとき、線引きはしておく。(田植え機から左(右)に線を引く棒を出し、田植え機からちょうど「田植え機の横幅の半分の距離」の所に線を引くのである。これが次の二周目のとき、田植え機をまっすぐに走らせる目安となる。田植え機の前方真ん中に赤い棒が立っているが、二周目以降では、先に引いた線とこの赤い棒が重なるように田植え機を進めるのである。)
二周目も、一周目同様、苗は植えない。
二周目が終わると、いよいよ、それよりも中の部分に6条ずつ苗を植える。1列終わると、機械後方の苗を植える部分を持ち上げ、ハンドルを切って、機械を逆方向に反転させ、また苗を植える部分を降ろして、苗を植えていく。
これを何回繰り返すかは、田んぼの幅によって決まる。
中央部の田植えが終わると、今度は最初に機械を走らせた外周一周目のところに苗を植えていく。そして最後に外から二周目の部分を植え、それが終わると、苗を植える部分を持ち上げて、初めに機械を田んぼに入れた部分から機械を外に出す。

午前中前半の田んぼは基本的に長方形の非常に整った形の田んぼであった。田植え機を操作する者からすれば、楽な田んぼであろう。
でも、僕は上に記したハンドルの切り返し・反転だけで、もうすっかり感心していた。
だが、正幸さんの腕前は、本格的には午後になって、全面発揮された。
圃場整備されているとはいうものの、自然の地形は残るものであり、瓢箪のような形状をした田んぼなどがある。

こうなると、上に記したような作業だけでは済まない。
外周二周は基本的に田んぼの形状に合わせて廻るのだが、そなると、中央部の直線状で苗を植える場所と、その外周部分とが重なる箇所が出てくる。中央部の苗植えが始まった箇所では6条植えであるが、途中で4条植えや2条植えに切り替えたり、苗を植える部分を上げて、苗を植えずに通過したりして、最後に植える外周二周の部分と重ね植えにならないようにしていく。
後から正幸さんに聞くと、作業に入る前(前夜、当日の田んぼ間の移動時など)に、「あの田んぼの形はこうだったな。じゃあ、機械をどのように動かして、うまく合理的に植えていくか」を考え、頭の中に絵を描いているのだという。
いまの僕には、これ以上描写・説明する力はなく、またビデオならともかく写真では、その作業の妙味を描写することはできない。
しかし、ともかく、「舌をまく」ということはこのことだ、と言ってよいほどの、巧みさ、うまさである。本当に感心した。


小滝での田植えの見学。その驚き、感動はなかなか文章では表現しきれない。その一端だけでもご理解いただければ幸いである。
正直に言うと、あまりの日射に午後は軽くではあるが、頭が痛く、補助といえども、けっして楽なものではなかった。でも、楽しかったし、あまり疲れも残らなかった。これを書いている翌日午前、体のどこかにわずかな張りのようなものは残っているが。
(作業が終わる頃は、まだ明るかったが、太陽は西に沈もうとしていた。

写真はその様子。デジカメのsceneを「夕日」にセットしたら、夕日はきれいに写ったが、あたりが実際以上に暗くなってしまった。1枚目の写真が同時に撮ったものなので、当時の明るさは1枚目の写真で判断していただきたい)
エネルギーはかなり消耗したようで、昼食を正幸さん宅でご馳走になったときは、大盛の茶碗2杯を軽く平らげたし(このときに食べた「ミョウガの芽」のうまさなどはまた別の機会に紹介したい)、夜はドンブリ一杯を食べてしまった。
(松尾 真)

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